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日米修好通商条約により

1858年(安政5年)、日米修好通商条約により1863年1月1日(文久2年12月7日)に開港が定められたが朝廷の反対によりロンドン覚書によって5年後の1868年1月1日(慶応3年12月7日)、「兵庫津」より東にある「海軍操練所」があった辺りを事実上の「兵庫港」[2]として開港が実現した。

「神戸」は当時、開港場一帯の村の名前でしかなかったが、公文書には、開港直後の1868年(慶応4年、明治元年)には「神戸港」の名称がすでに現れている[3]。やがて外国人の手によって居留地ができ始め、西洋文化の入り口として発展して「神戸」の名が著名になっていった[4]。1872年(明治5年)、和田岬に和田岬灯台が設置されて1892年(明治25年)に勅令[5]により、旧生田川(現フラワーロード)河口から和田岬までの全体が「神戸港」となる。
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政府の富国強兵策による近代化で工業が貿易と共に興り、しだいに大阪と共に阪神工業地帯を形成していく。日清戦争後には香港・上海を凌ぐ東洋最大の港となって商社「鈴木商店」などに代表される海運業が隆盛、ロンドン・ニューヨーク・ハンブルクと並ぶ世界四大海運市場として世界に名を知られるようになっていった。

太平洋戦争の敗戦により、神戸港は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収される。1951年(昭和26年)、占領は解除となるが朝鮮戦争やベトナム戦争の影響から撤収は段階的なものとなり、最後まで米軍に接収されていた新港第6突堤が返還されたのは1974年(昭和49年)のことである。返還の翌年、神戸市議会の全会派一致により「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」を採択、寄港する外国軍の艦船に非核三原則に基づく「非核証明書」の提出を義務づけた。

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2009年07月03日 01:15に投稿されたエントリーのページです。

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